【失敗から学んだ人生の転機:非二元論の視点から】

人生には、成功と失敗、喜びと悲しみ、まるで光と影のように、対極的な出来事が交互に訪れます。
一方があれば、もう一方が必ず現れる。そう信じて生きてきた私たちは、知らず知らずのうちに、出来事を「良い」「悪い」とジャッジしながら過ごしています。

しかし、非二元論の視点に立てば、それらはすべて「ただ起きている」ことに過ぎません。
ラベルも意味づけも、後から私たちが加えただけ。
人生の出来事に善悪や成功失敗のラベルを貼っているのは、ほかでもない自分だったのです。

けれど、そんな視点に至るには、やはり自分の身に何かが起こった時。
思い通りにいかなかった時、道に迷った時こそ、そこに隠された「もう一つの見方」に気づくチャンスなのかもしれません。

私自身にも、いくつかの大きな「挫折」や「選択の分岐点」がありました。
当時は苦しく、後悔の気持ちでいっぱいだったそれらの出来事が、今となってはすべて「起こるべくして起きたこと」だったと思えるのです。
今日は、そんな私の人生の一部を話していきます。

転職の挫折と、その後の飛躍

30歳から自営業を11年間営み40代での就職活動。新しい職場に飛び込もうとした私は、「これからが自分の新たなスタートだ」と胸を張っていました。
ところが、待っていたのは厳しい現実
年齢が邪魔をして就職の困難さ。

「どうしてこんなことに
自問自答を繰り返しながらも、心のどこかで諦めるわけにはいきませんでした。
そんな中、名刺を頼りに少しずつ人と繋がり直し、自分なりの新しい仕事の形を模索していきました。

気づけば私は、かつての「失敗」と思っていた出来事を足がかりに、まったく新しい道を歩み始めていたのです。

就職活動に敗れ、見えた自分の可能性

希望していた会社に落ちたとき、目の前の景色が一瞬で色を失ったように感じた。
「ここに入れたら人生が変わる」と信じていたからこそ、その不合格は想像以上に重くのしかかった。

何も手につかず、やる気も起きず、ただ日々をやり過ごすような時間がしばらく続いた。
まるで、人生の流れから置いていかれたような感覚だった。

けれど、ある日ふとした出会いから、小さな仕事を任されることになった。
それは本当に些細なことだったけれど、自分が人の役に立っていると実感できた瞬間だった。

やがて、その経験が連鎖のように広がり、気づけば私はまったく別の道を歩んでいた。
「やりたかったこと」ではなかったけれど、「今、喜びを感じていること」に出会えていた。

“あのとき落ちてよかった。今なら、そう言える。”

非二元の視点で見るなら、就職活動の「失敗」もまた、何かが間違っていたのではなく、ただ「そうなった」だけのこと。
私が抵抗しなければ、苦しみはなかったのかもしれない。

再び独立という選択、そして自由の本質

独立を決断をしたのは、安定や肩書きよりも「自分の時間を生きたい」という気持ちが大きくなったからだった。
毎日同じ時間に出社し、同じような会話を交わし、同じ道を帰る。
その繰り返しの中で、私は自分の感覚が鈍っていくのを感じていた。

「このままでいいのか?」という問いは、日を追うごとに強くなった。
そしてある日、決心した。

再独立
それは“自由”を手に入れることでもあり、“不安”と共に生きることでもあった。
けれど、自分で自分の時間に責任を持つというのは、想像以上にリアルで、深い充実をもたらしてくれた。

新しい出会い、新しい景色、そして何より自分自身の声が、以前よりはるかにクリアに聴こえてきた。

“「自分の人生を生きている」と、初めて実感できたのはこの頃だった。”

非二元論が教えてくれたこと

あのときの挫折も、あのときの出会いも。
望んでいなかった出来事も、思いがけず心が満たされた瞬間も。

すべては「ただ、起きたこと」だったのです。

私たちはつい、出来事に意味を求め、「これは良い」「これは悪い」と判断してしまいます。
でも非二元論の視点は、それらのラベルを手放してくれました。

良いとか悪いとか、成功とか失敗とか。
それはただ、私がそう名付けただけだったのだと気づかされたのです。

起きることを止めることはできない。
けれど、どう受け取るかは自分で選べる。

「これは失敗だった」と思ったその出来事が、あとになって「人生最大の転機だった」と言える日が来るかもしれません。
非二元の視点は、それをいまのうちに思い出させてくれるのです。

すべてはただ起きている。
意味をつけるのをやめたとき、
世界はそのままで、すでに豊かだったと気づくのです。


📌 読者さんへのメッセージ
このブログでは、読者さんが肩の力を抜き、人生の流れに委ねる大切さを感じられるようなメッセージを込めました。

「何かを変えようとしなくても、すでにすべては整っている」という気づきが、読んだ方の心に穏やかに響けば幸いです。


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