【“在って無い”を理解する—悟りへの道のりと心の平安】

「在って無い」を理解する悟りへの道のりと心の平安

(1) はじめに「在って無い」とは?

私たちが普段考える「在る」や「無い」の概念は、単純な存在や不在のことを指します。しかし、「在って無い」とはそれを超えたものです。まるで目に見えない風や心の変化のように、それは在るようで在らず、無いようで無く、曖昧で捕まえどころがありません。この微妙な境地を理解することが、心の平安への鍵になるのです。

(2)「悟りは在って無い」悟りの境地の曖昧さ

「悟り」と聞くと、多くの人は特別な経験や境地を思い浮かべます。しかし、悟りとは一体何なのでしょうか?実は、悟りの境地は曖昧であり、「悟った」と勝手に思う人がいるだけなのです。自分の中で何かが変わったと感じても、それが真の悟りかどうかは誰にも分かりません。「悟りは在って無い」という表現は、その曖昧さを如実に示しています。

たとえば、ある日突然「自分はすべてを理解した」と思う瞬間があったとします。しかし、その瞬間が過ぎると再び迷いが訪れたり、日常の些細な問題に巻き込まれたりします。そうした経験が示すのは、悟りは「在る」とも「無い」とも言えず、その曖昧な存在こそが真実であるということです。

(3)「私は在って無い」自分とは何か?

私たちの肉体は明らかに「在る」ものです。しかし、「私」が誰なのかを深く考えたとき、実体としての「私」を確認することはできません。私たちは意識の中に「自分」を感じますが、それはまるで空気のように掴めないものです。

「私は在って無い」とは、実体としての自分が存在しないことを意味します。肉体は在るけれど、意識としての「私」は確認できない。そのため、私という存在は「在って無い」とも言えるのです。日常生活で「自分がこう感じる」と思う瞬間も、それは一瞬の意識の動きに過ぎず、固定された自分ではありません。絶えず変わり続ける感情や思考の流れの中で、確固たる「私」を見つけることはできないのです。

この気づきは私たちに自由をもたらします。自己を何か特定の存在に固定せず、変化し続ける存在として認めることで、心はもっと軽くなり、日々のストレスや自己評価の重圧から解放されるのです。まるで雲が形を変えながら空を漂うように、私たちもまた固定された存在ではなく、常に変化するものだと受け入れることができるのです。

(4)「正誤は在って無い」正しさの概念を超えて

正しさとは何でしょうか?ある人にとって正しいと思うことが、別の人にとっては間違っているかもしれません。「正誤は在って無い」とは、この相対的な見方を指しています。例えば、伝統的な価値観と現代の価値観がぶつかるとき、どちらが正しいのかと考えてしまいます。しかし、そのどちらも「在って無い」のです。正しさを求めることに疲れてしまうとき、この考え方が心の安らぎをもたらしてくれます。

スポーツの試合で「アウト」か「セーフ」かの判定が、選手や観客によって異なる見方をされることがあります。これは正しさが固定的なものではなく、立場によって異なることを示しています。正誤の概念に固執することで無駄な対立が生まれますが、「正誤は在って無い」と受け入れることで、私たちはより寛容な心を持つことができるのです。

(5) すべてが「在って無い」全てを受け入れる心の平安

「在って無い」という見解は、全ての物事に当てはまります。それは「在る」と「無い」を同時に含む状態であり、いわば今ここに存在しているものです。この考え方を受け入れることで、私たちは自分や他人の意見、状況、そして結果をも無理なく受け入れることができるようになります。

例えば、仕事で成果を出したいとき、結果が出なければ自分に価値がないと思ってしまうことがあります。しかし、「成果が在って無い」と理解することで、その結果に囚われることなく、努力そのものを楽しむことができるようになるのです。また、意見の対立も「相手の見解が在って無い」と気づけば、無駄に感情的になることなく、冷静に受け流せるようになります。

この「在って無い」の視点を持つことで、あらゆる状況において心の余裕が生まれます。それは、人生における予測不可能な変化をも受け入れる力となり、内なる平安を保つ助けとなるのです。

(6) 結び「在って無い」ことがもたらす自由と安らぎ

「在って無い」を理解することは、私たちの心を解放し、無理に何かを証明したり、正しさを求めたりする必要のない世界へと導きます。それはまるで静かな湖のように、穏やかで動じない心の境地です。この感覚を得ることで、日々の生活の中に小さな喜びと安らぎを見出すことができるようになります。

朝起きた時の「今日はどうなるだろう」という漠然とした不安も、単なる思考の動きと気づくことで軽くなり、気負わずに一日を過ごせます。期待しすぎることで生まれる失望もまた、「在って無い」のです。

こうして、「在って無い」を受け入れた心は、日々の些細な変化をも柔軟に受け入れ、感謝しながら過ごせるようになります。最終的に、どんな状況でも自分を見失わずに前を向き、日常の中に隠れた小さな幸せを感じながら、生きることができるのです。

「在って無い」を理解し受け入れることが、人生の困難を乗り越える大きな力となり、私たちに本当の自由と安らぎをもたらしてくれるのです。どんな出来事にも動じない心を手に入れ、より軽やかに、そして前向きに生きていけるようになるのです。

 

 

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