
1. はじめに ― 誰もが持つ“自責グセ”
失敗したとき、うまくいかなかったとき、
「自分が悪い」と責めてしまうことはありませんか?
かつてのぼくもそうでした。
何かあるたびに「自分が足りないからだ」と思い込み、
自分に厳しく接することでしか前に進めないと思っていました。
でもあるとき、ふと気づいたんです。
「その“自分”って、そもそも何者なんだろう?」
――この疑問が、すべての始まりでした。
2. 思考は「最強の友」であり「最強の敵」
思考というのは便利なツールです。
でも、気づかぬうちにその“便利なツール”に
自分自身が振り回されてしまうことがよくあります。
とくに「自分を責める思考」は手ごわい。
根拠のない不安や後悔、未来への過剰な予測など、
ほとんどが“過去の記憶”と“まだ起きていない妄想”の産物です。
思考を友として扱うのか、敵として支配されるのか。
この選択が、人生の質を大きく左右します。
3. 自責の根っこにあるものは何か?
自分を責めてしまう人の多くは、
「こうあるべき」という理想像にしがみついています。
でも、その“理想の自分”は本当に自分が望んでいる姿でしょうか?
多くの場合、それは世間や過去の経験が作り上げた幻想です。
「人生には福も災いもなく、あるのは自分の考えの中だけにある」
この気づきは、まるで霧が晴れるような感覚をくれました。
4. 「在って無い」から見えてくるやさしさ
非二元の視点で見ると、“自分”すらも確かな存在ではなく、
思考によって生まれたストーリーの登場人物に過ぎないと見えてきます。
つまり、自分を責めることも、そもそも意味のない幻想の中の出来事。
「私は在って無い」
「正誤は在って無い」
「失敗も成功も在って無い」
――そう思えるだけで、心はずいぶん軽くなります。
5. “今ここ”の視点に立つだけで、世界は変わる
自分を責めるのは、過去を思い起こしているから。
未来を恐れるのは、まだ起きていない幻を思い描いているから。
でも、“今ここ”には何の問題もない。
何も欠けていないし、何も余っていない。
たった今の自分が“ちょうどいい”のです。
「在って無い」と知ることは、
「もう責めなくていい」と自分を赦すことでもあります。
6. おわりに ― ぼくがたどり着いた「どうってことない」境地
今でも、たまに自責のクセが顔を出します。
でも、そんなときは心の中でこうつぶやくようにしています。
「はぁはぁん、そう来たか」
「どうってことない」
「なるようになる、ケセラセラ」
思考が不安定になったときこそ、
【今ここに在るコレが全て】という自分の信条を思い出します。
人生は、決して“修行”ではなく、
“粋なエンタメ”だと思えば、ちょっとだけ優しくなれる気がします。
このブログがどこかで誰かの心をふっと軽くできますように。
また次回も、理念に基づいた新しいテーマで記事をお届けします。
📌 読者さんへのメッセージ
このブログでは、読者さんが肩の力を抜き、人生の流れに委ねる大切さを感じられるようなメッセージを込めました。
「何かを変えようとしなくても、すでにすべては整っている」という気づきが、読んだ方の心に穏やかに響けば幸いです。
健の信念:でもそれも「なるようになる」”それを言っちゃあ おしめえよ“
♦️『けん せら』丸わかり動画5本⬇️
『シフト経験して悟りとは何かと理解した』YouTube パート1
『思考との付き合いかた 悟りは在って無い』
『神様は「えこひいき」しないんだよ』
『探究を終えて心を平安に行こう!』
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【健の幻想ストーリーケセラセラ】の概略
探求!探究!でスピリチュアルの流転を重ねて 内観 瞑想 気功 非二元 バシャール エックハルトトール 占い 超能力 スピリチュアルtv 引き寄せの法則 アセンション説などにハマりましたが 数十年に及ぶ探究心を今は手放して 気楽になった話を 埼玉県の"僕は悟れないと悟った異端爺が 青い鳥(しあわせ)は「な〜んだ これかョ」のブログを皆様に継続して お伝え出来ればと思います。